daruma のブログ

スキー、ロードバイク、ヘミシンク、他等々を記録も兼ねて書き綴ります。

清原和博さん

清原さん逮捕に思うことを少し。


男気があって、直ぐなところがある反面、純粋で気の弱いところがあるとの報道を見かけました。


人は誰しも純粋で気の弱いところがあります。清原さんに限ったことではなく全ての人が根本的、潜在的、後発的に持ち合わせているものだと。


生きていくうちにだんだん染み付いた思い込みや思い癖に問題があったような気がします。



清原さんは人に良くしたりする面があったそうですが、多分自分本意で自分の価値観、思い込みの範囲を越えず、相手の立場や気持ちを察しようとしなかった感があります。


チームメート、後輩、監督との付き合い方など見ると明らかに自分本意で、相手の気持ちを察しようとはせず、自分の価値観、思い込みだけを押し出していましたから。


だから今になって出るわ出るわの状態なのでしょう。


清原さんは自分の価値観や思い込みだけで物事を押し切ろうとして無理が出て狂ってしまった。


清原さんには愛がなかった。
それは相手の気持ちを察することが出来なかった、察しようとしなかった。
愛がないから負のスパイラルに落ちたのだと感じました。



わかったような事を書きましたが、清原さんに何があって、どんな気持ちを抱いて、どんな思い込みや思い癖を抱くに至ったかは清原さんしかわからないことではあります。


若くして成功し、周りからチヤホヤされた境遇も不幸だったように思います。


今回の件を見ていて苦労も無駄ではなく、自分次第なのだと実感します。


ダルビッシュ選手がセカンドチャンスが得られる社会の必要性を訴えていましたが、それよりも先に清原さんが自分自身を見つめ直し、反省をし、人の気持ちを察しようと努力することが大事だと思います。


偉そうな事を書きましたが、私も清原さんとそう変わりありませんが。




仮説



先日この本を読んだ。




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読んでパッと頭に浮かんだことを「仮説」もしくは「妄想」として書きたいと思う。


詳しい内容は割愛しますが、中々考えさせられる内容でした。



この本によると神には他者という存在はなく「一なる者」のために、他者を認識することがない。

そこで自分の一部を分かち、我々という個々の存在を創られた。


我々は神の一部であり、神そのものということになる。


ではなぜ人は強かったり弱かったり、頭が良かったり悪かったり、格好良かったり悪かったり、優しかったり意地悪だったりなど人によって違いがあるのだろうか?


皆等しく素晴らしい存在のはずなのに。


本当はあらゆる可能性があるのに、この地球では皆それぞれ「役を演じている」のかもしれない。





皆それぞれに違う立場で、違う個性で、違う生き方の中で様々な経験をして、生まてくる様々な感情なり思いを神は見ているのだろうか。


よく悲惨で目もそむくけたくなる事があった時「神も仏もあるものか」という言葉を見聞きするが、神はそれを見ることが目的とすれば何ら不思議なことでもない。


私達の本質は素晴らしい存在のはずだが 「役を演じる」という現象としてこの地球を生きているのだとすれば。


人を感動させたり落胆させたり、喜ばせたり悲しませたり、皆それぞれの役を演じて人に様々な経験や感情をもたらしているとすれば。


皆が同じ事をしていたら何も生まれるはずもなく、
それぞれに役を演じ、生みだすことが各々の役割ならばどんな自分であれ生きることにこそ意味が見い出だせるというものだ。


その生まれるものを神は欲しているのならば我々は皆神の為になっているというものだが。


その時々に発露した自分の信念体系や思いを「知っているか否か」「認識できているか否か」が善悪の基準なのかもしれない。



もしそうならば、「頭が良い、見た目が良い、人間性が良い」などと自惚れるのは大変な勘違いで、「頭が悪い、見た目が悪い、人間性が悪い」などと気を落とすのは大変な早合点ということになる。



あと本には恐れからくる信念体系をネガティブの一つと定義づけている。


無いことへの恐れ、お金が無い、必要なものが無い、人からの敬意が無い、等々恐れからの信念体系がパッと浮かび自らの行動の動機となっていることがあるようだ。


ということならば、やはり自ら発露する信念体系なり考えを自分で見定めることは生きる上で必要不可欠なのだろう。




これは極端な、おそらく正しくない仮説ですが、本自体はとても興味深いことが多く書かれており一読の価値はあると思います。







A Question Of Honor

A Question Of Honor
Sarah Brighman



Ebben? Ne andrò lontana,
Come va l'eco della pia campana,
Là, fra la neve bianca;
Là, fra le nubi d'ôr;
Laddóve la speranza, la speranza
È rimpianto, è rimpianto, è dolor!

Two men collide When two men collide, when two men collide
Its a question of honor
Two men collide When two men collide, when two men collide
Its a question of honor
Two men collide When two men collide, when two men collide

If you win or you lose, its a question of honor
And the way that you choose, its a question of honor

I cant tell what’s wrong or right
If black is white or day is night
I know when two men collide
Its a question of honor

If you win or you lose, its a question of honor
And the way that you choose, its a question of honor

I cant tell what’s wrong or right
If black is white or day is night
I know when two men collide
Its a question of honor

Ne andrò sola e lontana,
Come l'eco è della pia campana,
Là, fra la neve bianca;
Là, fra le nubi d'ôr;
Ne andrò, ne andrò sola e lontana!
E fra le nubi d'ôr!




それでは 遥か遠くへ参ります
あの教会の鐘の こだまのように
純白の雪の間を通って
黄金に輝く 雲の間を抜け
そこでは この希望も
いとおしく 惜しまれるでしょう 
そして 苦しむでしょう


二人の男がぶつかり合う
それは栄誉からの問いかけ
二人の男がぶつかり合う
それは栄誉からの問いかけ
二人の男がぶつかり合う


たとえあなたが勝っても負けても
それは栄誉からの問いかけ
あなたがどんな道を選んだとしても
それは栄誉からの問いかけ


何が正しくて正しくないのかなんてわからない
もし黒が白だとしても
昼が夜だとしても
私が分かるのは二人の男が立ち向かう時
それが栄誉からの問いかけということ


たとえあなたが勝っても負けても
それは栄誉からの問いかけ
あなたがどんな道を選んだとしても
それは栄誉からの問いかけ


何が正しくて正しくないのかなんてわから
もし黒が白だとしても
昼が夜だとしても
私に分かるのは二人の男が立ち向かう時
それは栄誉から問いかけということだけ


夢先案内人は 独りで遠くへ赴きます
あの教会の鐘の こだまのように
純白の雲の間を通って


黄金に輝く雲の間を抜け 旅立ちます  
ただ独りはるか遠くへと
黄金に輝く 雲の間を抜けて





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http://m.youtube.com/watch?v=5ep4B5wSMn4

人生五十年

これまで自分のために生きてきたが
過ぎてみれば大した充実感などないものだ

自分のためだけの人生などなんとも味気ない



人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢幻の如くなり
ひとたび生を享け
滅せぬもののあるべきか



自分はあと何年生きるだろう


何事にも終わりがあり
また始まりがある


神様のありがたい慈悲だろうか


終わってみればあっという間なのだろう


なればこそ
残りの人生を悔いなく生きたい


自分のためだけでなく
世のため人のためにも生きれたら


まさに今の自分で


未来の自分でなく
ただ今の
不完全な自分で


そんな自分が
人のためになれたなら


どんなに素敵なことだろう






過去世リーディング

今年の始めに過去世リーディングを受けました。


●3世代前

モンゴルの女性

子供の頃、他の部族に連れ去られコマネズミのように働かされる。
その後部族長に見初められ妾になり子をもうけるが、正妻や他の妾から虐められる日々を過ごし一生を終える。

●2世代前

オランダの男性

船乗りになるが、金になる為に黒人の奴隷船に乗る。航海の途中、肌に出来物が出来た伝染病の疑いのある奴隷を何のためらいもなく海に突き落としたり鞭をふるい虐待をしていた。
稼いだお金は酒代、女を買うことに使い奴隷に関わる仕事を一生続けた。

●1世代前

フランスの男性

貴族の下男として一生を過ごす。
裕福な貴族だったが没落し、主人の妻が亡くなると家は暗くなり、意固地な主人を嫌っていた子供達は家を出ていき、給料を払われない使用人達も自分以外去っていった。
他に行き場のない自分は家に残り、主人がなくなるまで下の世話をしたり、お金がない中で喜んでもらおうと食事を工夫したり懸命に介護をしたが意固地な主人から心ない言葉投げつけられた。
主人は亡くなり、自分も一人寂しく一生を終えた。


○現世の父は1世代前の主人だった。
前世で私にしてもらった事に感謝し、今世で私が幸せになる為に私の父になった。


○現世の母は1世代前の家を出ていった娘だった。
家を出ていった後に家の様子を見にきていて、父を世話してくれた私に感謝していたとのこと。
今世で私が幸せになる為、父へ罪滅ぼしをする為に私の母になった。

○現世の弟は3世代前の母親だった。
連れ去られた私を助けることができず、今世で私が幸せになる為に私の弟になった。


どうやら私は罪を犯しては次の世で罪滅ぼしの人生を送り、罪から解放された世でまた罪を犯すことを繰り返しているようで、救いようのない馬鹿のようです。
なんでも船乗りの時より酷いことをした前世があるとのことです。

ですが今世は家族全員が私の幸せのために生まれ、切実に私の幸せを願ってくれているとのこと。

家族に感謝の念など無かった私でしたが、それを聞いて自然とポロポロ涙が溢れました。
そしてリーディングをした方にメチャクチャ説教されたのなんのって…

思い返せば思い当たるふしがいくつか…

中学高校の時、尋常でないニキビができていた。
「ニキビお化け」などとアダ名されたが…黒人を出来物があるだけで海に突き落とした罰が来たのかも…

弟がよく「母ちゃんは俺より兄貴を大事にしてる」と言っていた。

親父は私が高校位まで母に対し厳しく、理不尽な振る舞いが多かった。途中から仲が良かったけど。

思い返せば他にも色々あります。

何でも私の今世は「奪われることも、奪うこともない人生」「幸せにならなければいけない人生」なんだそうです。

人の縁とは不思議なものです。
きっと私の周りにいる人達もそうなのでしょう。
星の数ほどの人がいる中で出会った人なのですから。


人を悪く思わず、人を大切に思って生きる。
これが正解なのかもしれません。

人を殺しておきながら、殺される人生を歩まずにすんでいるのは神様の慈悲なのだそうです。

きっと今を精一杯生きることが自分の為であり、人の為にも、神様の為にもなっているのでしょう。


ヘミシンクと同じで過去世リーディングを受けたのも、次のステージへ進むタイミングだったのだと感じています。



この歌を口ずさんで

ヘミシンクを始めて1年半が過ぎようとしています。

受け取った時はわからなかったメッセージも

(以前は思えなかったが)家族や目に見えない存在達が切実に自分の幸せを願ってくれていること

周りの人達も含め、感謝すべき存在であふれていること

時を経て、実感をともなった理解に変わってきているような気がします。



ガイドから「勇気」というメッセージをセッションで度々受け取っていました。

たぶん「どうなるか結果はわからないけれども、怖がらず、出し惜しみせずに精一杯自分を出してみる」

「どこにいても、何をしても、何があっても、何を言われても、どう思われようとも、精一杯自分を出せばそれでいい」

「小さい自分にこだわらない。自分の明るさ、ひたむきさ、精神、気力、体力を目一杯だす」

「変な目で見られてもかまわない。目一杯笑う、精一杯動く」

「今この現実を生きているけれども、現実の価値観に縛られない。大きな価値観で生きる、現実をはみ出した世界に生きる」

「何でも来いや。いや、むしろ飛びこんで平気な顔をしてやる」


目一杯、精一杯自分を出しきると気持ちがよい。

出し惜しみしない方が疲れないし、充実感が半端ない。

物事を善悪で決めるのではなく、後悔するかどうかで決める。
それが自分のためになって、周りのためにもなっている。


言わなければ後悔すると思ったら言って、間違ったら笑い、人を不快にさせたら反省し、次は愉快になってもらうように振る舞えばいい。


周りを気にせずに、本当に思うがままに進んでいくことがこんなにも気持ちの良いものだとは思わなった。


こんな当たり前なことにようやく気づいた。



精一杯生きれば、自分が知らなかった新しい自分に会える。


「よし、やってやる!」
「新しい自分に出会うんだ!」
朝そう思うとワクワクする。





今、俺は生きてるぜー!(笑)







稲盛和夫の言葉


経営に権謀術数は一切不要

企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものはいっさい必要ない。

今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。

また、正々堂々と人間として正しいやり方を貫けば運命は開けてくると考えている。

実際に京セラやDDIの経営に携わり、日々懸命に働いているうちに、次に打つべき手は自ずから見えてきたし、そうすることが素晴らしい成果をもたらせてもくれた。




●未来から来た日本人(真偽不明)がネットに書き込んだ言葉


高齢者が集合して生活する場所が2062年にも存在する。

今で言う高齢者賃貸住宅?特別養護老人ホーム?かな。

そこへ情報収集の為、記録とは違う情報が無いかの調査に行くことがある。

今のあなた方の世代かな、と思っている。そこでいつも思う事がある。

いつも後悔されている。

「おもいっきり飛び込んでおけばよかったわ。」このような話がよく出てくる。

すべて仕事のお話なんだ。だから今、あなた方は何かしらに我慢してないか、と。

まあいいか。思い出しただけ。




●プロジェクトA2のマーチ


たとえ希望が見えなくとも
決してあきらめたりはしない
どんな苦境も乗りこえる
熱い想いを歌にして


自分の道を
誇りをもって真っすぐに
たとえ孤独な道だとしても
熱い想いが尽きるまで


険しい道でも
ゴールを目指し突き進む
自分らしく歩けばいい
この歌を口ずさんで
いつか夢が叶うまで



泥かぶら

昔、ある村に顔の醜い少女がいました。


孤児で、家もなく、
森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。


色は真黒、髪はボウボウ。
着物はボロボロ、身体は泥だらけ。


少女は、その醜さゆえに、
「泥かぶら」と呼ばれていました。
 

子どもからは石を投げられ、
唾を吐きかけられ、
泥かぶらの心はますます荒み、

その顔はますます醜くなっていくばかりです。


「どうしてこんな目にあわなければならないの…」

 
夕日を見ながら、悲しくなり考え込むのです。



ある日のことです。


泥かぶらが石を投げられ、怒りに荒れ狂い、棒を振り回し叫んでいる時に
 
旅の僧侶が通りかかりました。



僧侶は話しかけます。

「娘よ、何故そんなに怒っているのだ?」


泥かぶらは今での辛かった生い立ちを話し、美しくなりたいと訴えます。


静かに話を聞いていた僧侶は3つのことをするよう泥かぶらに話します。


「自分の醜さを恥じないこと。

 
いつもにっこりと笑うこと。

 
人の身になって思うこと。」



泥かぶらは、激しく心を動かされます。
 
それらは、今までの自分と
まったく正反対の生き方だったからです。


「この3つを守れば村一番の美人になれる」


美しくなりたい一心に、
泥かぶらは僧侶の言う通りに生きはじめます。



しかし、急に態度の変わった泥かぶら見て、
村人は不審に思うばかりか、
嘲笑し、中傷するのです。



ある時、事件が起こります。


事の発端は、村一番の美人で
一番お金持ちの庄屋の子、こずえでした。


彼女がどうしたことか、
「助けて」と叫んで、
泥かぶらのところに走って来たのです。


こずえは、日頃から泥かぶらを
嫌っていじめていた者の一人です。


何かわけがあるに違いありません。


果たして、こずえの後ろから、
父親の庄屋が鞭を持ってやって来ました。


庄屋は、命よりも大切にしていた
茶器を割られたことで、
怒り心頭に達していました。


「泥かぶらが、割ったんだ」
 

父親の怒りを逃れるために、こずえは、
日頃から評判の悪い泥かぶらに
罪を着せていたのです。



怒り狂った庄屋は、
娘の言うことを信じて疑いません。


泥かぶらを見つけると、
容赦なく鞭で打って、
折檻(せっかん)をし始めました。


泥かぶらは、すべてを悟り、
黙ってその鞭を受けました。


「人の身になって思うこと」


という法師のあの言葉を思い出し、
「助けて」と頼んだこずえの願いを
聞き入れたのです。


何度も何度も鞭で叩かれ、
ひどい言葉を浴びせられながらも、
泥かぶらはこずえを助けるために、
最後まで耐え忍びました。



「もうやめよう。

お坊様がおっしゃった3つの言葉、
 あんなことで私は良くなるとは思えない」



泥かぶらが全身ボロボロになって、
また丘の上の夕陽を見ながら泣いていた時でした。


後ろからそっとやってきた人がいます。


こずえでした。


「助けてくれてありがとう。
 本当に悪い事をした。
 これは私の宝物だから、
あんたに、もらってほしい」


そして、自分が一番大事にしていた
櫛(くし)を差し出したのです。



この時、泥かぶらは
自分が報いられたことを知りました。


生まれて初めての経験に、
泥かぶらは声をふるわせながら、
こずえに言います。


「その櫛はいらないから、
 その心だけでいいから・・・
 どうかこれからあたしと、仲良くして・・・」


こずえは泣きながらうなずきました。


そして、泥かぶらの頭の泥を払い、
櫛で髪の毛をすいてあげて
かたわらの花を挿してあげるのでした。



それからでした
泥かぶらの人生が変わっていったのは・・・。


村人たちの泥かぶらへの見方が
変わっていきます。


そうなればなおさら、
泥かぶらはお坊さんの3つの言葉を
さらに実践していきます。


喘息持ちの老人には
山奥に入って薬草を取って持ってきたり、
子供が泣いていたら慰めてやったり、
子守りをしてやったり、
人の嫌がることでもニコニコしながら
次から次にしていきます。


すると、心も穏やかになっていき、
あれほど醜かった表情が
消えてなくなっていきました。


村人のために労をいとわずに働く泥かぶらは、
次第に、村人にとって
かけがえのない存在になっていったのです。



ところが、そんなある日、
村に「人買い」がやってきました。


人買いは借金のかたに、
一人の娘を連れていこうとします。
 

泥かぶらと同じ年の親しい娘です。


「いやだ、いやだ」と
泣き叫ぶ娘の姿を見ていた泥かぶらは、
人買いの前に出て、
自分には家族がいない、自分を代わりに連れていって欲しいと頼みます。



泥かぶらは人買いに連れられ、村を出たのでした。


そんな時でも泥かぶらは、
僧侶の3つの言葉を忘れませんでした。


・自分の顔を恥じない。


・どんな時にもにっこり笑う。


・常に相手の身になって考える。



旅の途中、
毎日毎日、何を見ても素晴らしい、
何を食べても美味しいと喜びます。
 

どんな人に会っても、
その人を楽しませようとします。


「売られて行くというのに、
 おまえはどうしてそんなに
明るくしていられるのだ」


不思議がる人買いに、泥かぶらは、
自分の心にある美しく、楽しい思い出だけを、
心から楽しそうに話して聞かせるのでした。


そんな泥かぶらの姿に人買いは、
激しく心を揺さぶられます。


 
親に捨てられ、
家もない娘が不幸でなかったはずはない。


それなのに、誰に対しても恨みごとを言わず、
むしろ村人たちに感謝さえしている。


そして、この自分に対しても、
楽しい話ばかりして喜ばせようとしてくれている。



それに引きかえ・・・



自分のこれまでの生き様はなんだったのか・・・。



月の美しい夜でした。


人買いは、泥かぶらに
置き手紙を残して姿を消します。
 

手紙にはこんな言葉が書かれてありました。


「私はなんてひどい仕事をしていたのだろう。
 

 お前のおかげで、
私の体の中にあった仏の心が目覚めた。


 ありがとう。


 仏のように美しい子よ」



泥かぶらはその時はじめて、
僧侶が自分に言った美しくなれるという
意味を知ったのでした。

ひるまない

『みんなで仲良く』


そんな絵空事を夢見ながらも、歳とともに実現しない現実を思い知らされる。


しかし人とのぶつかり合いにこそ、この地球に求めて来たのではないかとも思う。


生きていれば厳しい現実の前に立ちすくんだり、受ける批判に心が縮こまってしまったり、逃げ場のない身の置き場のない苦しい状況に立たされる時がある。


そんな時『みんなで仲良く』と相反する闘いをしなければならない時が必ず来てしまう。


時に自分を小さな箱に押し込め、厳しい現実や受ける批判から自分の身を隠そうとしたりもする。


一見楽そうにみえて実は苦しく人生で一番つまらない生き方を選んでしまう時がある。


でも本当の自分を表に出せない、本当の自分を表現出来ない、こんな時ほど生きていて苦しい時はない。


尾崎豊ではないが本当の自分を失わないために闘わなければならない。




そのためにも、ひるまない



この一点に尽きると思う。



 

本気になる

この地球という世界では食べなければ生きていけない。


食べるには金がなければならないし、それを稼ぐために働いている。


生存しようとする本能は『仕事が出来るか、出来ないか』『格好が良いか、悪いか』そんな周りから求められる価値観へと形を変える。


出来なかったり格好悪いと痛みや苦しみを背負わなければならぬから周りから求められることに応えざる得ない状況になっている。


そんな価値観に迷い込み「何のために生きてるんだろう?」なんて考える。


人が本当に欲してるのは『本気になる』ことではないだろうか。


『出来るか、出来ないか』『格好良いか、悪いか』そんなことを考え、やりもしないうちから限界を定め、人の目を気にして行動しても面白くないし、心が病むし、体調も悪くなり、覇気がなくなってしまう。


自分が人生の主役であることを忘れ、本気になることを忘れ人生の傍観者になってしまうと周りがひどく悪く見えてしまう。


周りがひどく悪く見えてしまうと悪口や批判、諦めや無気力に終始して益々つまらない穴にはまり、さらに自分で穴を掘り進めてしまう。


それが何気に心地の良い場所だと思うのだが、心の底では自分でも気づかない所で自分を嫌いになるものだからストレスばかりがどんどんたまる。


人が本当に欲してるのは『出来る』ことでも『格好良い』ことでもなくて
本気になりたい、本気になって発露する自分という存在を知りたいのだ。


B'zのギタリスト松本孝弘が以前テレビでこんなことを言っていた。


「ギターなんかでもそうなんだけども、思い込みの違いだと思う。
僕の音楽の才能やギターの才能が人よりあったということではなくて、他の人よりも相当好きだということが原動力になっている。
だから誰にも負けないくらい好きな事を見つけることだ。
でもこれってどうやって出会えるかっていうのは偶然じゃない?
だから僕はギターというものに出会って本当にラッキーだったと思う」



人の目など気にしない、本気の自分に、本当の自分に会いたいものだ 。



ガイドから感じたこと【ヘミシンク】

これまで書きとめたヘミシンクの記録を読み返し、今さらながら「本当かよ、大丈夫か俺?」そう思います。


長い間感じていた自分が何かに縛られているような違和感を払拭したい
それがヘミシンクを始めたきっかけでした。


人様のブログを拝見すると、知覚する人、逆に何も知覚しない人、十人十色、百人いれば百通り、本当に様々のようです。


知覚する理由、知覚しない理由、きっと能力の有無に関わらない人知を超えた何かが存在するのではないでしょうか。


スピリチュアルな世界は空想や絵空事でなく、確かに存在すると思います。
しかしそれを垣間見ることは難しく、また証明する方法がありません。
そもそもスピリチュアルとは何か。


私なりの答えは、未知なるものを探求したいと欲する人間の心であり、突き詰めていくと、素晴らしいものを目指す道、素晴らしい自分を探す旅


そして「痛み、苦しみ、悲しみから解放されたい」そんな救いを求める人間心理の裏側に潜む何か、人では窺い知ることの出来ない何らかの働き、ではないかなと思っています。



私はヘミシンクをとおしてマックスウェルと名のるガイドに出会いました。
このガイドめちゃめちゃ明るく、そしてダンサンブルな曲を聴いているとカッコ良く踊るノリのいいガイドです。



この宇宙は自由意志が尊重される世界であり、これを侵害する行為は許されないようです。


マックスウェルからのメッセージもやはり、私の自由意志を侵害しない範囲のものであり、私の問いかけに対して必要なものだけを繰り返し伝えてくれた印象があります。


それは『恐れ、こだわりを手放す』と『勇気』です。


彼は繰り返しこれらの言葉を伝えてきました。


ある日こんなものを手渡された。


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『勇気』


どんな時に、何に『勇気』を出せと言っているのかはわかりません。


ただ勇気は時に何かしら行動する際に必要とされるものです。
少なくとも未知なるものに繋がる言葉ではなく、『今存在する、この時と場所』に繋がっていく言葉です。


先日ネットで『体験せよ!』という言葉に出会い、心が揺さぶられるような感動を覚えました。


もしかするとガイドは『勇気をもって体験せよ』
そう言っているのかもしれません。


今まで生きる意味など考えてもわかりませんでしたが
体験が生きることに意味を持たせるのかもしれない
体験するために地球に生まれてきたのかもしれない
ならば何でも体験してやろう
そう思います。


そして、これを公開する最後のヘミシンク記録にしようと思います。







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三川の将軍杉。
樹齢1400年、高さ約40m、幹周り19.31m 日本一の太さ。


神々しくて、でっかいわ!(^o^)


 




  

歩いたり、止まったり、走ったり

順境の時もあれば、逆境の時もあったり


追い風にのって行動できたり、上手くいかずもがいてみたり、行動できずに止まっていたり。


何が良くて何が悪いというわけじゃなく、満天の星々の神秘的な運行のように、人生も神秘的な流れのうえに成り立って、人それぞれの「時」があるのかもしれない。



基本的にゆる~い生き方が好きですが、たま~に、あがいてみるのも悪くない。



きっと良い日も悪い日も、日日是好日。


 

鼻血とガイド

今朝ひげ剃りをしていると、鼻毛が出ていることに気がついた。


これはいかんと鼻毛をカットすることに。


チョキチョキ鼻毛をハサミで切っていると違和感を感じ、鏡を見ると赤いものが。


とりあえずティッシュを鼻の穴に突っ込んで、一分ほどして抜いてみるが鼻血の勢いは変わらない。


今日は馴染みのない女性との仕事が控えている。
相手が自分を良く知る人間なり男ならば、鼻の穴にティッシュを突っ込みつつ
「いや~鼻血が出ちゃって~なはは~」
などと笑って済ますところだが…


とりあえずティッシュを再度、鼻の穴に突っ込んで様子をみることにした。
出勤までまだ時間はある、五分もすれば止まるだろう、そう考えながらも変なことを想像してみる。


これがもし日本有数の高度医療病院の処置室に患者として訪れていた時に、看護士の目の前で壁に顔をぶつけ、勢いよく鼻血が出たとして、その看護士はどうするだろうか。


手にゴム製の手袋をつけ、鼻血をかき分け、塗ればたちどころに止まる止血剤など塗ってくれるだろうか。


はたまた、傷を一発で塞げる機械を取り出し「いいですか、いきますよ」などと声をかけてパチンとしてくれるだろうか。


それとも洗濯バサミのような医療機器があって、鼻の上から装着し「もう大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれるだろうか。


おそらく鼻の穴にティッシュを詰められ
「では次回の診察は○月○日です」などと事務的に対応されて終わりだろう。


また別の事を考えてみる。
ヘミシンクでガイドに聞いてみたらどうなるか。


おそらくアホらしくても出てこないだろう。
そもそもこのガイド、こちらが真剣にアドバイスを求めても決まって『自分で決めろ』と返してくる。


ヘミシンクの知覚能力に自信はないが、鼻血のアドバイスでは『自分で決めろ』どころか、アホらしくて姿すら現さないだろうという自信だけはある。



出勤五分前。
おそるおそるティッシュを鼻の穴から抜いてみると……鼻血は止まっていた。



今日も一日、大過なく過ごすことができました。


  

断捨離決行中

リフォームが終わり、ついでに断捨離の決行を決意。
自分の物だけにとどまらず、なぜか範囲が家中に広がりをみせております。
ヘミシンクはおろかロードバイクすら忘れ、断捨離と掃除に明け暮れる日々。


しかし、やってみると気持ち良い。
不要品がなくなるということは、それだけ新たなスペースが生まれ、もはや異世界、見違えるようです。
流れる空気が以前とは違う、癖になります、もう止まりません。


そんな中、面白いものが出てきた。
スキーのリフト券ホルダー。
時代とともに形が変わっているのが面白い。

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レコード。

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一発屋で終わったけど好きだった。

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角松敏生、夏のインストゥルメンタル
当時タバコのCMのBGMだった、YouTubeで聴けるがCDで再販されてるのだろうか?

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ビートルズABBEY ROAD
大学ヨット部先輩のロシア土産。
ロシア土産がなぜかレコードという…思い返せば変わった先輩ばかりだった。

嵐の日にシングルハンダーで沖に出て遭難したり。
通りがかりの船に助けてもらったは良かったが、多額の謝礼を請求され裁判沙汰になり、片道30キロもある裁判所へママチャリで行っていた。

酒宴の席で全裸になりトイレットペーパーの芯にイチモツを差し込み、差し込んだ反対側から他の先輩が覗き込み「これはなかなか良い眺めだ」などと訳の分からないことを言ったり。

まだまだあるが、変な事ばかりが脳裏に浮かぶ…でも元気にしてるだろうか。




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小泉今日子のカセット。




渚のはいから人形~♪
キュ~トなヒップにズッキン!ドッキン!
渚のはいから人形~♪
夏まで待てないズッキン!ドッキン!




思わず歌ってしまった。

  



 

後悔にみる自分【ヘミシンク】

ヘミシンクをする理由は人それぞれだろうと思う。


真実を知りたい。
目に見えないものを知りたい。
なぜ自分は存在するのか知りたい。
今の苦しい状況を打開したい。
人生をより良いものにしたい。


昨年末からヘミシンクを始めましたが、今年に入り公私とも忙しく変化を感じる。


もしかしたら次なるステージに向けて歩き始める時期に来ているのだろうか
ヘミシンクを始めたことは、この事と無関係ではないのかもしれない。


人は様々な状況に置かれ、様々な経験をし、様々な感情を抱き日々生きています。


ありふれた言葉ですが、良いことも悪いことも自分のためになって、
望むとも望まざるとも
無意識のうちに自分自身の変化に繋がり
無意識のうちに何かを目指しているように思います。


それは崇高や高次といった気取ったものではなく、
今の自分がどんな状況であろうとも、どんな思いを抱こうとも
他の誰とも同じではない
唯一無二の素晴らしい自分になるための必然的な道だと感じます。




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ヘミシンクでは主にゲートウェイの「リリース&チャージ」をしています。
これは自分の内側に潜む「怖れ」を解放するセッションです。


これまで色んな内的変化があったように思いますが、最近特に意識するようになったのは「後悔」です。


してしまった後悔。
しなかった後悔。
これまで腐るほど後悔をしてきた。


怖れを取り除いた後、思い出したくもない後悔達が姿を見せはじめた。


「こんなもの…今さら出てきて何になる」
そう思っていましたが、ある日ふと思います。


そういえば後悔した状況って忘れた頃にまた起きてるな…
たとえその時の当事者や物事が違っても、忘れた頃に同じ事が起きている…


仮に素晴らしい自分を目指す過程が無意識に行われているとしても
この「後悔」は意識をして対することができる。

もしかすると後悔は本当の自分の裏返しなのでは。

ひょっとすると「後悔」にこそ本当の自分が潜んでいるのではないだろうか
本当の自分を知ることが出来るのではないだろうか。


その時は人を傷つけて、自分も傷つけてしまった
でも、その人達のおかげで得がたい気づきが得られたのでないだろうか。


そうだ。
後悔をしても終わりじゃない。
むしろ後悔をやり直す機会と時間は与えられているではないか。
後悔はとらわれるのではなく、新たな自分になるきっかけになり得ないだろうか。


後悔は悪いことではなく
後悔こそ人生の指標の顕れではないだろうか
後悔こそ人生のチャレンジではないだろうか。



後悔を人のせいにしたり、忘れようなんて勿体ない
後悔の苦しさをまぎらわす必要はないのかもしれない。



後悔の後にこそワクワクするチャレンジが待っているのだ!








置かれた状況、経験、思いは人それぞれ違うと思いますので共感を得られるとは思いませんが…
一人で盛り上がってみました (^_^;





   

風予報

先日床屋へ。
その時に理容院の主人から面白い話を聞いた。


この主人大変な釣り好きで色んな話をしてくれる。
元々商売柄話し上手ではあるが、自分の知らない趣味でも熱烈な愛好家の話には引きつけられるものがあります。


なんでも釣りは天気や風によって結果が左右されるとか、はまると良い道具(高価な道具)が欲しくなるとか、なんかロードバイクと通じるものがあるな~!などと面白い話になった。


シマノも釣りと自転車共にあるメーカーだし、意外に共通点が多い。


そんな話の中でGPVなる天気予報サイトがあることを聞いた。
ご存知の方もいると思いますが、なんでもこのGPVなるサイト、雨量、雪量、気温、湿度、気圧、風量など1時間毎の予報を詳しく見ることが出来る。


http://weather-gpv.info/


中でも感心したのは風予報。
細かな地域毎の風向き、風速まで知ることが出来る。


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勿論それがわかったからと言って走りが軽くなる訳でもないし、向かい風を避けるコース選びが出来る訳でもない。


ただその日の風速や風向きを知っておけば、スタミナの配分や追い風の楽しみどころを把握することができるかもしれない。


とはいえ実際に走りだすと、それどころではないかも(笑)